今はなき柏そごう一階の喫茶スペース。
大昔はコンサートとかやってたスペースなのだが、
そこを潰して喫茶スペースにしちゃうようなセンスが
退店の原因なんじゃないかなーなどと思った。
2016/12/24
喫茶店文化とシアトル系コーヒー
近所にコメダコーヒーが開店したんで、
行く前にちょこっとだけふれてみる。
コメダコーヒーは名古屋の喫茶店文化を
チェーン展開したものだ。
どうも、名古屋というところは、
一日が喫茶店に始まり
喫茶店で終わるような依存具合らしく、
台湾の朝の屋台や、
イギリスのパブみたいな感じで、
一日のなかのくつろぎや、
ちょっと一休みってときに喫茶店に行くらしい。
それだけ高頻度で使われるようになると、
お客さんへのサービスとして、
いろんな商品を提供するようになり、
トーストの上にあんこがべったりのっかった
小倉トーストのような、関東の人間には発想できないようなものができあがったりする。
名古屋はサービスや
お客さん商売というところでは、
非常に手厚いサービス合戦が行われており、
それ以上にそこでがんばる商売人は、
そういうのが当たり前だと思い、
少しでもよい物を、
少しでもお客さんが喜ぶような物を提供する
と言うのが信条となっているとのことだ。
喫茶店文化だけでみてみても、
喫茶店で朝ご飯を食べる人がおおい、
それじゃ、
しっかり食べてもらおうという考えで、
コーヒーの“おまけ”として、
トーストにサラダ、それにゆで卵+αという
メインとおまけの主従関係が崩れちゃうような
ボリュームたっぷりのモーニングが
提供されたりする。
その延長線上で、
いわゆる“喫茶店メニュー”と呼ばれる、
ナポリタンやサンドイッチなんかの
メニューは増強され、
とりあえずなんか食べようというときに、
確実安心な場所として成長していった
という経緯がある。
これもすべてサービスの一面なのだが、
お客さんが喜ぶことならばということで、
名古屋から生まれた業態で、
マンガ喫茶もある。
生まれたのが1980年代か1970年代らしいのだが、
当時の喫茶店というのは、
暇つぶしの場として機能していた一面もあった。
コーヒーを飲みながら、雑誌や新聞を読んで、
休日のぽっかりと空いた時間をつぶす
というような使われ方がされていたらしい。
同時にそのころ、マンガが出版物の中で
群を抜いて成長をしていき、
(大昔は難しい本誌か読まなかった)大学生が、
マンガを読むようになり
広がっていった時代でもあった。
そこで、暇な大学生やサラリーマンが
喜ぶならと、
マンガの品ぞろえを増強し、
マンガ喫茶として独自路線を
行くようになったらしい。
そのようにして、サービス、
お客さんが喜ぶことというのを、察知して、
それを提供していったのが
名古屋の喫茶店であり、
それらの積み重ねが、名古屋の喫茶店文化と
いえるのではないかと思っている。
さて、スターバックスコーヒーに代表される、
シアトル系コーヒーだが、
こちらは、コーヒーを提供することを
突き詰めこのような形になったらしい。
ここからは、うろ覚えの話やあやふやな推測を
積み重ねるんで、極めていい加減な話なのだが、
対比としてやってみようと思ってるんで、
勢いで書いてみる。
シアトル系コーヒーは、
名古屋でマンガ喫茶が生まれたらしき年代から
十年ぐらい遅れての発祥だったと記憶している。
当時のコーヒー店
(日本の喫茶店と区別するのにコーヒー店という言葉で分けておく)は、
ダイナーのような業態が中心であった。
カウンターがあり、
ドーナッツやハンバーガーなどが提供され、
食事としてのメニューは、
今でいうところのプレートランチみたいな形に
スープがつくぐらいのもので、
コーヒーがでてくる食事屋さん
といった感じだろうか。
日本だとデニーズが、
ダイナーの持つ雰囲気を踏襲したといっていたが、
映画やドラマとかででてくるダイナーとは、
少し違うような気がする。
まあ、とにかく、コーヒーを飲むにあたって
ダイナーが中心地であったらしい。
それに併せて、ニューヨークとかの大都市では
屋台が多くでていて、
そこでは持ち帰りコーヒーの専門店なども
あったらしい。
コーヒーを飲みたいが、
オフィスのコーヒーサーバーは
朝一じゃ動いてないし、
自分でいれるのもめんどくさいし、
という需要を満たすのに使われたらしい。
そのなかで、コーヒーを出すことを
メインとしたお店が生まれ、
それらがスターバックスをはじめとした
シアトル系コーヒーと呼ばれる業態だ。
コーヒー自体も、当時のダイナーの
コーヒーと差別かするためにクオリティーが
上がったのだが、
そこについてふれると話が長くなりすぎるんで、
別の機会にする。
サービスやコーヒー文化と言う点では、
大きな転換となった。
ダイナーなどは、ファミレスレベルではあるが、
とにかくレストランとしての自負があり、
ウェイター・ウェイトレスが注文を
聞きにきていた。
それをシアトル系コーヒーは、
フルセルフサービスにしたのだった。
しかし、だからといって
お客さんの居心地が悪いのでは、話にならない。
そこで、ダイナーと違う観点で
お客さんへサービスをしている。
ちょっとした店員さんからの一言や、
カスタムオーダーなんかを
丁寧にこなしたりする、
店員さんがお客さんをちゃんと注目しているよ、
というあの接客の仕方だ。
ワインのソムリエ、
カクテルのバーテンダーと同じように、
コーヒーにもバリスタというのがある。
バリスタというのは、
語源はバーテンダーと同じらしく、
提供するのがコーヒーと
お酒のちがいがあるだけだ、
みたいなことをバーテンダーさんから
聞いたことがある。
それで、シアトル系コーヒーの
店員さんの動きは、
バリスタの動きを見本にしているところがある
のだという。
ここまで話を膨らませておいて、
視点を近所のコメダコーヒーと
スタバに戻してみる。
コメダは老若男女幅広く、
それで長居する客が多い。
スタバは、若めの女性
(小娘からお姉さまぐらいまで)が中心であり、
長居する客はPCや勉強道具を持ち込んでいる人であり、
それ以外の人は、
基本的にコーヒーいっぱいで引き上げる。
この差は大きい。
店というのは、
客によりその雰囲気が作られるのだが、
その客が違うのだから
店のもつ空気が変わってきて当然なのだ。
コメダは良くも悪くも、昔の喫茶店である。
そして、スタバは
“コーヒーショップで○○をする私”
というのを少しおしゃれっぽく見せる記号
なのである。
同列にコーヒーチェーン店としてみると、
まったく違うものだし、
コーヒーの専門店としてみたら、
それはそれで違う意味で違う。
そもそも、それぞれの店は
違う文化の元で生まれ育ち、
たまたまそのチェーン展開した物が
私の家の近所でぶつかったというだけで、
違うものである。
行く前にちょこっとだけふれてみる。
コメダコーヒーは名古屋の喫茶店文化を
チェーン展開したものだ。
どうも、名古屋というところは、
一日が喫茶店に始まり
喫茶店で終わるような依存具合らしく、
台湾の朝の屋台や、
イギリスのパブみたいな感じで、
一日のなかのくつろぎや、
ちょっと一休みってときに喫茶店に行くらしい。
それだけ高頻度で使われるようになると、
お客さんへのサービスとして、
いろんな商品を提供するようになり、
トーストの上にあんこがべったりのっかった
小倉トーストのような、関東の人間には発想できないようなものができあがったりする。
名古屋はサービスや
お客さん商売というところでは、
非常に手厚いサービス合戦が行われており、
それ以上にそこでがんばる商売人は、
そういうのが当たり前だと思い、
少しでもよい物を、
少しでもお客さんが喜ぶような物を提供する
と言うのが信条となっているとのことだ。
喫茶店文化だけでみてみても、
喫茶店で朝ご飯を食べる人がおおい、
それじゃ、
しっかり食べてもらおうという考えで、
コーヒーの“おまけ”として、
トーストにサラダ、それにゆで卵+αという
メインとおまけの主従関係が崩れちゃうような
ボリュームたっぷりのモーニングが
提供されたりする。
その延長線上で、
いわゆる“喫茶店メニュー”と呼ばれる、
ナポリタンやサンドイッチなんかの
メニューは増強され、
とりあえずなんか食べようというときに、
確実安心な場所として成長していった
という経緯がある。
これもすべてサービスの一面なのだが、
お客さんが喜ぶことならばということで、
名古屋から生まれた業態で、
マンガ喫茶もある。
生まれたのが1980年代か1970年代らしいのだが、
当時の喫茶店というのは、
暇つぶしの場として機能していた一面もあった。
コーヒーを飲みながら、雑誌や新聞を読んで、
休日のぽっかりと空いた時間をつぶす
というような使われ方がされていたらしい。
同時にそのころ、マンガが出版物の中で
群を抜いて成長をしていき、
(大昔は難しい本誌か読まなかった)大学生が、
マンガを読むようになり
広がっていった時代でもあった。
そこで、暇な大学生やサラリーマンが
喜ぶならと、
マンガの品ぞろえを増強し、
マンガ喫茶として独自路線を
行くようになったらしい。
そのようにして、サービス、
お客さんが喜ぶことというのを、察知して、
それを提供していったのが
名古屋の喫茶店であり、
それらの積み重ねが、名古屋の喫茶店文化と
いえるのではないかと思っている。
さて、スターバックスコーヒーに代表される、
シアトル系コーヒーだが、
こちらは、コーヒーを提供することを
突き詰めこのような形になったらしい。
ここからは、うろ覚えの話やあやふやな推測を
積み重ねるんで、極めていい加減な話なのだが、
対比としてやってみようと思ってるんで、
勢いで書いてみる。
シアトル系コーヒーは、
名古屋でマンガ喫茶が生まれたらしき年代から
十年ぐらい遅れての発祥だったと記憶している。
当時のコーヒー店
(日本の喫茶店と区別するのにコーヒー店という言葉で分けておく)は、
ダイナーのような業態が中心であった。
カウンターがあり、
ドーナッツやハンバーガーなどが提供され、
食事としてのメニューは、
今でいうところのプレートランチみたいな形に
スープがつくぐらいのもので、
コーヒーがでてくる食事屋さん
といった感じだろうか。
日本だとデニーズが、
ダイナーの持つ雰囲気を踏襲したといっていたが、
映画やドラマとかででてくるダイナーとは、
少し違うような気がする。
まあ、とにかく、コーヒーを飲むにあたって
ダイナーが中心地であったらしい。
それに併せて、ニューヨークとかの大都市では
屋台が多くでていて、
そこでは持ち帰りコーヒーの専門店なども
あったらしい。
コーヒーを飲みたいが、
オフィスのコーヒーサーバーは
朝一じゃ動いてないし、
自分でいれるのもめんどくさいし、
という需要を満たすのに使われたらしい。
そのなかで、コーヒーを出すことを
メインとしたお店が生まれ、
それらがスターバックスをはじめとした
シアトル系コーヒーと呼ばれる業態だ。
コーヒー自体も、当時のダイナーの
コーヒーと差別かするためにクオリティーが
上がったのだが、
そこについてふれると話が長くなりすぎるんで、
別の機会にする。
サービスやコーヒー文化と言う点では、
大きな転換となった。
ダイナーなどは、ファミレスレベルではあるが、
とにかくレストランとしての自負があり、
ウェイター・ウェイトレスが注文を
聞きにきていた。
それをシアトル系コーヒーは、
フルセルフサービスにしたのだった。
しかし、だからといって
お客さんの居心地が悪いのでは、話にならない。
そこで、ダイナーと違う観点で
お客さんへサービスをしている。
ちょっとした店員さんからの一言や、
カスタムオーダーなんかを
丁寧にこなしたりする、
店員さんがお客さんをちゃんと注目しているよ、
というあの接客の仕方だ。
ワインのソムリエ、
カクテルのバーテンダーと同じように、
コーヒーにもバリスタというのがある。
バリスタというのは、
語源はバーテンダーと同じらしく、
提供するのがコーヒーと
お酒のちがいがあるだけだ、
みたいなことをバーテンダーさんから
聞いたことがある。
それで、シアトル系コーヒーの
店員さんの動きは、
バリスタの動きを見本にしているところがある
のだという。
ここまで話を膨らませておいて、
視点を近所のコメダコーヒーと
スタバに戻してみる。
コメダは老若男女幅広く、
それで長居する客が多い。
スタバは、若めの女性
(小娘からお姉さまぐらいまで)が中心であり、
長居する客はPCや勉強道具を持ち込んでいる人であり、
それ以外の人は、
基本的にコーヒーいっぱいで引き上げる。
この差は大きい。
店というのは、
客によりその雰囲気が作られるのだが、
その客が違うのだから
店のもつ空気が変わってきて当然なのだ。
コメダは良くも悪くも、昔の喫茶店である。
そして、スタバは
“コーヒーショップで○○をする私”
というのを少しおしゃれっぽく見せる記号
なのである。
同列にコーヒーチェーン店としてみると、
まったく違うものだし、
コーヒーの専門店としてみたら、
それはそれで違う意味で違う。
そもそも、それぞれの店は
違う文化の元で生まれ育ち、
たまたまそのチェーン展開した物が
私の家の近所でぶつかったというだけで、
違うものである。
2016/12/18
2016/12/10
コロンビアSUP
年末年始の分をまとめて焼く。
コロンビアは一番好きな銘柄なのだが、
油断するとそればっかり飲むことになるので、
意識して違う豆を使うようにしている。
だが、年末年始はお祝いだし、
好きな豆をとことん飲もうと思い、
二キロばっかし焼く。
好きな豆は、焼いてるときの煙すら
いい匂いのように感じるから不思議だ。
コロンビアは一番好きな銘柄なのだが、
油断するとそればっかり飲むことになるので、
意識して違う豆を使うようにしている。
だが、年末年始はお祝いだし、
好きな豆をとことん飲もうと思い、
二キロばっかし焼く。
好きな豆は、焼いてるときの煙すら
いい匂いのように感じるから不思議だ。
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